思いがけず、マチソワすることになった作品
今回の『心中・恋の大和路』は、チケットを購入した時点では、初演バージョンと2014年バージョンのどちらが上演されるのか発表されていませんでした。
私自身、『心中・恋の大和路』という作品をこれまで一度も観たことがなく、「まずは作品に触れてみたい」という気持ちでチケットを購入しました。
ところが、お昼公演の初演バージョンを観終えた私は、しばらく席を立てないほどの衝撃を受けました。
胸がいっぱいになり、涙が止まらない。
この物語を一度観ただけでは終われない。
そして以前から一度じっくり舞台を拝見したいと思っていた壮一帆さんが忠兵衛を演じる2014年バージョンも、どうしても観たくなってしまいました。
これまで「当日券」という存在には興味がありながらも、「行っても買えないかもしれない」「何度も観るほど予算もないし」と、一度も挑戦したことはありません。
それでも今回は違いました。
昼公演で受けた衝撃があまりにも大きく、「夕方公演も観なければ、この朗読歌劇は私の中で完成しない。」そんな気持ちになったのです。
思い切って当日券売場へ向かい、16時30分公演のチケットを購入しました。
思えば、これまでマチソワをしたのは、柚香光さんの退団公演『アルカンシェル』で、大劇場卒業前日のサヨナラショー付き公演を観た一度だけ。
作品そのものに突き動かされてマチソワを決めたのは、今回が初めてでした。
『心中・恋の大和路』とは
『心中・恋の大和路』は、近松門左衛門の『冥途の飛脚』を原作とした日本物ミュージカルです。
飛脚問屋・亀屋の養子となった忠兵衛は、新町遊郭の遊女・梅川と深く愛し合っています。しかし、義理や世間体、お金、そして周囲の思惑に翻弄され、二人は次第に追い詰められていきます。
純粋に愛し合いながらも、その愛ゆえに破滅へ向かっていく姿を描いた、宝塚を代表する日本物の名作の一つです。1979年に初演され、その後も幾度となく再演されてきました。
幕が開いた瞬間に打ちのめされた初演バージョン
瀬戸内美八さんのお名前はもちろん存じ上げていましたが、宝塚の殿堂で拝見したことがあるだけで、舞台はもちろん映像でも観たことはありませんでした。
衣装も舞台装置もない朗読歌劇ということで、「ご年齢も考えると、このようなスタイルだからこそ実現した公演なのかな」と、どこか軽い気持ちで開演を待っていたのです。
しかし、その考えは幕が開いた瞬間に吹き飛びました。
圧倒的な歌唱力、そして舞台を支配するようなスターオーラ。
「とんでもない演目が始まる。」
そんな期待に思わず背筋が伸び、私はあっという間に『心中・恋の大和路』の世界へ引き込まれていきました。
衣装も舞台装置もないにもかかわらず、それをまったく感じさせない出演者の表現力には脱帽です。

ベテランだからこそ生まれる舞台の厚み
特に心をつかまれたのは、八右衛門を演じた日向薫さん。
しっかり者で情に厚く、「どこまでいい奴なんだ!」と思わず涙があふれてしまうほど魅力的でした。
そして、どうしようもない主人である忠兵衛を最後まで慕い続ける与平を好演し、ラストで「この世にただひとつ」を絶唱した未来優希さん。
遊女や飛脚屋の仲間など様々な役を演じながら、それぞれの場面をきりりと引き締めていた美郷真也さん。
さらに、間夫を一途に慕う純真な娘にしか見えなかった南風舞さん。
宝塚を観始めてまだ四年あまりの私がこれまで接する機会のなかったOGの皆様。
その立ち姿、発声、歌唱、そして長年積み重ねてこられた味わい深い演技に、ただただ魅入ってしまいました。
人間くさい忠兵衛という男
瀬戸内さんの忠兵衛は、とにかく人間くさい人でした。
与平には公金の封印を切ることをたしなめながら、自分は短気を起こして封印を解き、お金をばらまいてしまう。
八右衛門には泣きつき、養母をずる賢く欺き、恋と理性の狭間でもがき続ける。
ようやく梅川を身請けすると、お梅、お梅と愛おしそうに可愛がり、実父には「すまない」と悔い、友には感謝し、最後には愛に殉じることを決意する。
調子に乗ったり、落ち込んだり、怒ったり、泣いたり、弱気になったり、覚悟を決めたり。
その揺れ動く感情があまりにも人間らしく、瀬戸内さんはその一つひとつを実に情感豊かに演じられていました。
だから忠兵衛を見放せない
もちろん、人のお金に手をつけてはいけません。
しかも、その理由が遊女を身請けするためだなんて、どう考えても許されることではありません。
それでも、忠兵衛という人物は不思議と見放せないのです。
色男だからでも、優しいからでもありません。
「そんなことをしてはいけない」と頭では理解しているのに、自ら破滅へ向かってしまう。
その説明のつかなさこそが、人間そのものなのだと思いました。
そして、そんな忠兵衛を許し、最後まで願を叶えてやろうとする友がいる。
落ちぶれてもいいから、生きていてほしいと願う親がいる。
どうしようもない男であっても、なお彼を思い続ける人たちがいる。
一見すると現実離れした物語なのに、胸に迫ってくるのは、この人間らしさが丁寧に描かれているからなのでしょう。
娘役を傍らに、際立つ男役
そんな忠兵衛をより鮮やかに浮かび上がらせていたのが、南風舞さんの梅川でした。
女の武器やしたたかさを持ち合わせず、ただひたすら間夫を慕う純真無垢な女性。
だからこそ、忠兵衛の弱さも愚かさも、そして愛の深さも際立って見えたのだと思います。
男役を娘役がより魅力的に見せる。
その関係性の美しさこそ、宝塚ならではの美学なのだと、改めて実感しました。
雪山が裁く、二人の命
孫右衛門とお梅のやり取りから涙が止まらなくなり、雪山へ向かう二人を見送りながら未来優希さんが歌う「この世にただひとつ」が響き渡る頃には、嗚咽するほど泣いていました。
人形浄瑠璃や歌舞伎では、二人が逃げる場面では雨が降っており、
最後は追手に捕縛されるというラストだそうです。
雪山に裁かれ、二人が白装束で倒れ逝く姿の美しさ。
ロマンチックなラストは、宝塚ならではの脚色が際立っており、泣ききったと思ってもまだ涙が頬を伝います。
あまりにも衝撃的なマチネ。
余韻が消えるどころか、「もう一つのバージョンも観たい」という思いがどんどん膨らんでいきます。
そして私は、生まれて初めて当日券を求めることを決意しました。
壮一帆さんの忠兵衛に会いたくて
ソワレでは、忠兵衛を壮一帆さん、梅川を愛加あゆさんが演じられました。
壮さんは、OG公演『RUNWAY』で初めて拝見して以来、その圧倒的な歌唱力と、ご卒業から何年も経っているのに放たれるその包容力に惹かれ、ずっと気になる存在でした。
さらに『EXCITER!!』初演版を映像で観た際には、その色気に目が釘付けになってしまいました。
マチネで出会った、あの愛すべき忠兵衛。
その忠兵衛を壮さんが演じたら、どんな人物になるのだろう。
その答えをどうしても知りたくて、私は人生で初めて「当日券」という一線を越えました。
もちろん、人のお金ではありません(笑)。
そして、その決断は間違っていませんでした。
「思い切って飛び込んで本当に良かった。」
心からそう思える舞台でした。

同期だからこそ生まれる情
八右衛門を演じたのは、壮さんと同期の彩吹真央さん。
お二人の歩みを詳しく知っているわけではありませんが、「同期が忠兵衛と八右衛門を演じる」。
その事実だけで胸が熱くなります。
ラストの「この世にただひとつ」を八右衛門が歌う演出も、とても印象的でした。
マチネに続いて出演された未来優希さんは、丁稚の三太、養母・妙閑、そして実父・孫右衛門というまったく異なる三役を見事に演じ分け、改めて芸達者ぶりを感じさせてくださいました。
愛加あゆさんが描いた梅川
愛加あゆさんのお名前は、夢咲ねねさんと姉妹でトップ娘役になられた方として存じていましたが、舞台や映像作品を拝見するのは今回が初めてでした。
愛加さんの梅川は、とにかく忠兵衛のことが大好き。
けれど、その愛は純真無垢というだけではありません。
これから先に待っている結末をどこかで悟りながら、それでも忠兵衛と添い遂げることを選んだ。
そんな覚悟を感じる梅川でした。
壮一帆さんが演じた「悲劇の主人公」
壮さんの忠兵衛は、本当に色男でした。
女中のおまんを「綺麗になった」と褒める場面では、「ここから新しい恋が始まってしまうのでは」と思ってしまうほど罪な色気があります。
一方で、八右衛門に梅川を身請けするための手付金五十両を借りてしまったと打ち明ける場面では、深刻な男というより、調子のいい放蕩者そのもの。
それすら「この人なら仕方ない」と思わせる説得力がありました。
しかし、公金で身請けをしたことを梅川に告白し、追われる身となって西の門をくぐる頃には、その姿は一転します。
瀬戸内さんの忠兵衛が、最後までどこか希望を抱いて故郷新口村へ向かっているように見えたのに対し、壮さんの忠兵衛は、最初から逃避行の結末を知っているようでした。
人間くさい男というより、悲劇の主人公。
儚く、美しく、そして宿命を受け入れたヒーロー。
だからこそ、「どうか二人の恋が報われてほしい」と願わずにはいられませんでした。
西の門が意味するもの
余談ですが、大坂・新町遊郭には大門とは別に「西の門」があります。
この西の門をくぐることは、西方浄土、すなわち極楽浄土へ向かう道を象徴しているそうです。
その意味を知ると、忠兵衛と梅川が西の門をくぐる場面は、逃避行であると同時に、二人が運命を受け入れる瞬間にも思えてきます。
鬘をつけているわけではないのに、雪山を歩く壮さんの乱れた前髪が、儚さと美しさ、そしてこの期に及んでもなお色気を失わない忠兵衛を見事に表現していました。
「なんて絵になる二人なのだろう。」
美しさに涙する、そんなラストでした。
草月ホールで見た宝塚
彩吹さんが歌う「この世にただひとつ」。
舞台後方には星が降り注ぐような映像が流れ、その中にたたずむ姿は、まるで大劇場の舞台でせり上がって登場したような光景でした。
一瞬、自分が草月ホールにいることを忘れてしまうほどでした。
また、この作品に会える日まで
こうして、私の怒涛の『心中・恋の大和路』の一日は幕を閉じました。
作品に導かれるように当日券を買い、二つの忠兵衛と二つの梅川に出会い、それぞれ異なる魅力に心を揺さぶられた一日。
そして私は心に誓いました。
次に宝塚で『心中・恋の大和路』が上演されるときは、必ず劇場へ足を運ぼう、と。
最後に、朗読歌劇という新しいジャンルを、『心中・恋の大和路』という名作に出会うきっかけを、
SNSを通じて背中を押してくださった方に感謝申し上げます。


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記事内容は、筆者個人の体験や記録に基づいています。
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