宙組公演『黒蜥蜴』『Diamond IMPULSE』を配信で観たときの感想です。
宙組の公演を観るのは、かなり久しぶりです。
そんな私が今回の『黒蜥蜴』には、これまで観てきた宝塚のお芝居の中でも、過去一と言っていいほど引き込まれました。
配信で観ているのに、物語があっという間に進んでいく。
「終わって…しまった…」
と思うほど、お芝居が短く感じられたのです。
配信だと自宅という環境のせいもあって、どうしても集中力が散漫になってしまう私。
未だかつて、配信を集中して観られたのは星組公演1789くらいです。
今回の『黒蜥蜴』は、お芝居とショーという構成だったため上演時間がそもそも短いのもあるのですが、とにかくあっという間で、それでいて休憩時間には頭の中を様々な台詞が去来して、
もう一回観たい!というか、劇場で観たかったーーー!と、すぐさま殿堂入り作品となったわけです。
観終わって一番強く残ったのが、春乃さくらちゃん演じる黒蜥蜴でした。
日頃のさくらちゃんといえば、底抜けに明るく、元気満点。
そんな彼女が、ねっとりと艶やかで、妖しく、そして耐え難いほどの孤独を抱えた黒蜥蜴をどう演じるのか。
これは観る前からとても興味がありました。
そして、実際に観てみて、本当に驚きました。
黒蜥蜴という女性に必要なものが、すべて詰まっている。
それなのに、この作品は決して「黒蜥蜴だけの物語」にはなっていません。
そこにいる桜木みなとさん演じる明智小五郎が、黒蜥蜴の強烈な存在感を受け止め、二人の関係そのものを成立させている。
この二人だからこそ成立した『黒蜥蜴』だったのではないか。
そんなことを感じた公演でした。
宝塚の素晴らしいところは、公演中に大劇場公演を収録したBlu-rayが発売され、予習をした上で東京公演に臨めるところです。ただ、東京公演の千秋楽もディスクにおさめて欲しい!と思ってしまうのがファン心ですね。 |
江戸川乱歩原作、三島由紀夫が戯曲として昇華した世界を、宝塚で
『黒蜥蜴』は、江戸川乱歩の小説をもとに三島由紀夫が戯曲化した作品。
今回の宙組公演では、生田大和先生が潤色・演出を手がけています。
三島の原作へのリスペクト、生田先生の三島へのリスペクト。
ものづくりや芸術への畏敬の念と挑戦が感じられる、素晴らしい演目だったと思います。
物語の舞台となるのは、戦後復興を経て、高度経済成長へと向かう東京。
華やかさを増していく街の裏側には、犯罪や欲望が渦巻く暗黒街が広がっています。
そこで出会うのが、名探偵・明智小五郎と、謎の女盗賊・黒蜥蜴。
明智は数々の難事件を解決してきた名探偵。
一方の黒蜥蜴は、正体も居場所もつかめない、神出鬼没の女盗賊です。
二人は、岩瀬家の令嬢・早苗をめぐる事件をきっかけに対峙することになります。
追う明智。
逃げる黒蜥蜴。
知略を巡らせながら繰り広げられる二人の攻防は、やがて単純な探偵と犯人の関係ではなくなっていきます。
相手の考えていることを読み、相手の一歩先を行こうとする二人。
敵であるはずなのに、互いを意識せずにはいられない。
そしていつしか、そこには愛とも執着とも言える、複雑な感情が生まれていきます。
妖しく、華やかな『黒蜥蜴』
江戸川乱歩の文学世界には、独特の奇妙さがあります。
人間の欲望や美への執着、犯罪、愛、孤独。
どこか現実から浮いたような世界なのに、人間の感情だけは生々しい。
その哲学と奇妙さを、宝塚らしく「清く、正しく、美しく」の一線は超えないかたちで、そして華やかに潤色したのが今回の『黒蜥蜴』なのだと思います。
衣装や照明、音楽、そして舞台セットも、今回は歌劇というよりは演劇寄りの演出に感じました。
カラスの濡れ羽色のようなうねった長い黒髪は、蛇のようにじっとりと冷たい印象で、黒蜥蜴が過ごしてきた孤独な時の長さを表しているように感じられました。
たくさん印象的な衣装がありましたが、特筆すべきは黒蜥蜴の黒いダルマの腰骨のあたりから垂れ下がる黒いふさふさの羽根の妖しさたるや、のぞき穴から見てはいけないものを見てしまっているような、これまでの宝塚では感じたことのない妖艶さを感じました。
(「ダルマ」とは、袖も裾もなく、足がすべて露出されるレオタードのようなデザインの衣装のことです。ダルマの由来は手足のついていない「達磨(だるま)」の姿に似ていることからだそうです。)
皆さまはどの衣装が気になりましたでしょうか。
こんなトップ娘役が、これまでにいただろうか
さくらちゃん演じる黒蜥蜴は、
妖しさ。
すごみ。
孤独。
不気味さ。
美しさ。
そして、純度の高さ。
相反するようなものが、すべて黒蜥蜴という一人の女性の中に存在しています。
ただ色気があるだけではない。
ただ妖艶なだけでもない。
その奥には、耐え難いほどの孤独がある。
人を惑わせる強さがある一方で、誰にも埋めることのできない空洞を抱えている。
その両方が、さくらちゃんの黒蜥蜴から伝わってきました。
娘役という枠を飛び越えて
これまでにも、黒蜥蜴を演じられるであろう娘役さんは、たくさんいたと思います。
色気があって、芯が強く、破滅的な孤独を抱えた極端な役。
そういう役が似合う娘役さんは、きっといた。
けれど、それをトップ娘役という立場で演じ切ることができるのは、後にも先にも春乃さくらさんだけなのではないか。
そんなことを思いました。
黒蜥蜴は、とてもパワーのある役です。
ともすると、トップスターよりも目立ってしまう可能性のある難しい役です。
それを春乃さんは、まったく恐れることなく演じ切っていました。
「娘役として男役を引き立てる」というところに収まらず、一人の女性として、一人の人間として、黒蜥蜴の人生を生きている。
娘役という枠を飛び越えて、一人の俳優として成立している。
宝塚ではない演劇の世界にそのまま立っていても、きっと通用する。
そんなところまで仕上がっていたように感じました。
君の破滅を抱きしめて、君の最期を見届けたい
ただ、ここで絶対に書いておきたいのが、桜木みなとさん演じる明智小五郎についてです。
春乃さくらさんの黒蜥蜴が、これほど強烈な存在感を放っているのに、この作品は「黒蜥蜴の一人勝ち」にはなっていません。
むしろ、桜木さんの明智小五郎がいるからこそ、黒蜥蜴がさらに輝いている。
そこに、桜木さんのものすごいバランス感覚と包容力を感じました。
この作品、かなりコンビを選ぶのではないでしょうか。
明智小五郎を、ただ「かっこいい男役」として演じてしまったら、黒蜥蜴とのバランスが崩れてしまう。
自分をかっこよく見せる渋さ。
キラキラした王子様。
女性を誘うような色気。
もちろん、どれも宝塚の男役としては魅力的です。
でも、この作品では、それだけでは足りない。
黒蜥蜴の破滅に重なり、その孤独を受け止めるだけの度量が必要なのだと思います。
自分が輝くことだけを考えるのではなく、相手の強さと脆さを丸ごと受け止める。
相手の魅力を消すのではなく、その魅力ごと舞台の上に存在させる。
桜木さんの明智には、そんな大きさがありました。
トップコンビの新たなかたち
これまで、黒蜥蜴のような役どころは歌うまの熟練娘役や、専科から出演されている方が担ってきたように思います。
トップ娘役が個性の強い役を演じると、トップスターよりも目立ってしまう可能性があると、
私は思っていました。
しかし、桜木さんの包容力と確かな演技力が、春乃さんの強烈な役によって逆に引き立つという、
新しいトップコンビのかたちがそこにはありました。
これは、桜木みなとさんと春乃さくらさんという二人だからこそ成立した『黒蜥蜴』なのではないかと思います。
黒蜥蜴が強ければ強いほど、明智にもそれを受け止めるものが必要になる。
どちらか一方だけが輝いても、お互いが引き立たない。
だからこそ、この二人の組み合わせに、とても納得してしまいました。
生田先生はきっと、この二人の本質を見抜いていたのではないでしょうか。
ずっと温めていた『黒蜥蜴』という作品を、この二人にあてる時を待っていた。
そんなふうに思えてなりません。
銀橋の両端で交わされる、追う者と追われる者の心理
なかでも、とても印象に残ったのが、銀橋の両端に明智と黒蜥蜴が立ち、交互に独白を重ねていく場面です。
探偵と犯罪者。追う者と追われる者。
相反する立場にいる二人の心理が、詩的に、そしてスリリングに描かれていきます。
黒蜥蜴:追われているつもりで追っているのか
明智:追っているつもりで追われているのか
黒蜥蜴:法律が私の恋文となり
明智:牢屋が私の贈り物になる
明智・黒蜥蜴:そして、最後に勝つのは、こっちさ!
この台詞の応酬が、たまらなく好きです。
最後に、二人が声を重ねて「こっちさ!」と言い放つ。どちらが勝つのかという問いを超えて、互いを強く意識し、相手の存在によって自分自身も揺さぶられている魂のぶつあり合いが感じられます。
配信を観てからというもの、この台詞がふとしたときに頭に浮かびます。気がつけば、明智と黒蜥蜴の一人二役を演じるように、思わず呟いてしまうほど。
それほどまでに、言葉の響きと二人の心理が強く心に刻まれた場面でした。
追い詰める明智、そして隠しきれない黒蜥蜴の本心
物語は、女賊・黒蜥蜴が宝石商の娘、早苗を誘拐し、身代金として伝説のダイヤを要求するところから動き出します。黒蜥蜴はダイヤも早苗も手に入れようとし、宝石商に雇われた明智小五郎は、そんな彼女の一歩先を読みながら、じわじわと追い詰めていきます。
頭脳戦を繰り広げる二人。追い詰められていく黒蜥蜴と、彼女の先を行く明智。
ところが、明智は黒蜥蜴が逃げる船の中で、ソファの中に潜伏していたと思われたまま、ソファごと海に沈められてしまいます。黒蜥蜴は、明智が死んだと思い込むのです。
そこで見せるのが、黒蜥蜴の本心でした。
ソファの中にいる明智に向かって、隠していた気持ちを告白する黒蜥蜴。そして、生地越しの「真心の接吻――。」
これまで宝塚で観てきたラブシーンとはひと味違う、なんとも大胆で、妖しい演出です。
相手の顔を見ることも、抱きしめることもできない。それでも、もう届かないと思った相手に、初めて本当の気持ちを打ち明ける。
黒蜥蜴にとって、恋は自分の弱さをさらすことなのかもしれません。誰にも支配されず、自分の思いどおりに生きてきた彼女が、明智の前ではその強さだけではいられなくなる。その落差に、黒蜥蜴という女性の孤独がいっそう際立ちます。
明智を追い詰めているつもりで、実は自分も明智に心を奪われている。先ほどの銀橋の独白が、この場面を観たあとでは、また違った意味を持って胸に迫ってきます。
雨宮の一途な愛と、早苗と葉子をめぐる謎
黒蜥蜴に心酔し、手下として献身的に働く雨宮潤一を演じるのは、水美舞斗さん。
持ち前の美貌に、一途すぎるほどの眼差し。水美さんは、黒蜥蜴への思いに取りつかれた雨宮の狂気を、見事に表現していました。
なかでも印象に残ったのが、黒蜥蜴との出会いを歌にした「クロロフォルムのハンカチ」の最後に見せる笑顔です。
それがもう、アルプスの少女ハイジの世界に出てきそうな、牧歌的で澄み切った純粋な笑顔なのです。
邪気のない、まっすぐな笑顔。だからこそ、その純粋さがかえって恐ろしくもありました。本人にとっては疑いようのない愛情なのでしょう。けれど、その一途さはどこか歪んでいる。あの笑顔があったからこそ、雨宮の愛の危うさが、いっそう色濃く浮かび上がっていたように思います。
そして、宝石商の娘・早苗と、彼女と瓜二つの女・葉子を演じ分けた天彩峰里さん。
裕福な家庭で育った早苗と、不幸な運命を背負った葉子。同じ顔を持ちながら、育った環境も境遇も異なる二人を、天彩さんはそれぞれの人物として演じていました。
明智の策略によって早苗と葉子が入れ替わったように見える展開も、面白いところです。
「ん? 今のは早苗? いや、葉子?」
観ているこちらまで、まんまと惑わされてしまいます。
ところが、私が東京千秋楽の配信で観た、人間美術館に閉じ込められた雨宮と早苗――ということになっている葉子――の場面では、さらに興味深いことが起こりました。
黒蜥蜴のために尽くす雨宮の姿に、相手の女性が深い愛情を覚えたように見えたのです。
ただ、私の記憶では、本来、雨宮とは初対面のはずの葉子が、まるで愛する雨宮と再会できたことを喜んでいるかのように感じられました。
そこで、ふと思ったのです。
もしかすると、早苗と葉子は入れ替わったように見せかけて、実は入れ替わっていないのではないか、と。
宝石商の娘として裕福に暮らしながらも、退屈な日々に飽き飽きしていた早苗。一方、華やかなお金持ちの生活に憧れていた葉子。そんな二人が結託し、入れ替わったように見せかけていたとしたら……。
つまり、あの牢屋にいたのは葉子ではなく、早苗だったのではないでしょうか。
そう考えると、雨宮に向けられたあの表情にも納得がいきます。初めて会った相手への感情ではなく、愛する人に再会できた喜びだったからこそ、あのように見えたのかもしれません。
もちろん、これは私が東京千秋楽の配信を観て感じた、一つの解釈です。ほかの公演ではどう描かれていたのか、また、同じ公演を観た方がどのように受け取ったのかも気になるところです。
この演出は毎公演同じだったのでしょうか。それとも、公演によって見せ方を変えていたのでしょうか。
もし本当に、早苗と葉子が入れ替わったように見せかけて、実は入れ替わっていなかったのだとしたら。観客が信じていた前提そのものをひっくり返す、実に鮮やかな仕掛けです。
この場面を観たとき、思わず唸ってしまいました。
ああ、これはますます生で観たかった!
配信だからこそ、自宅でじっくり観られる良さはあります。それでも、劇場で客席から舞台を見つめ、あの表情や空気を直接感じていたら、また違った発見があったのではないかと思わずにはいられません。
美しすぎる結末
そして、物語はあまりにも美しい結末へと向かいます。
手下の松吉と入れ替わることで、明智が生きていたことを知る黒蜥蜴。
最期に彼女が選んだのは、毒をあおり、自ら命を絶つことでした。
そのとき、明智に伝える言葉が、なんともいじらしく、純度の高いものなのです。
「つかまるから死ぬのではない。聞かれたから死ぬの」
女賊として、誰にも屈することなく生きてきた黒蜥蜴。そんな彼女が、明智への気持ちを知られてしまったことに耐えられず、死を選ぶ。
その強さと弱さの同居に、胸を締めつけられました。
それに対して、明智が返すのは、
「君の心は本物の宝石、本物のダイヤだ」
という言葉。
黒蜥蜴が追い求めてきた宝石の輝きよりも、彼女の心そのものに価値があるのだと、明智は伝えるのです。
そして、明智の腕の中で最期を迎える黒蜥蜴。
二人は手をつないでいます。けれど、一度もキスをしません。
これが、私にはたまらなく美しく感じられました。
銃や刃物で自ら命を絶つこともできたはずなのに、黒蜥蜴があえて毒をあおったのは、明智からキスをされることなく、心と心のつながりを保ったまま最期を迎えるためだったのではないか。そんなふうに思ってしまうほど、二人の関係が繊細に描かれていたのです。
もちろん、これは私なりの受け取り方です。
けれど、手をつなぎ、互いの心を確かめながら、最後までキスをしない。その選択が、二人の愛をかえって深く、特別なものにしていたように感じました。
涙を禁じ得ない、至高のラブシーンでした。
黒蜥蜴の生い立ちについて、劇中で多くが語られるわけではありません。それでも、最期の彼女は、まるで少女のようにキラキラと輝いて見えました。
数々の悪事を重ね、誰にも心を明かさずに生きてきた女性が、最後の最後に見せる、むき出しの純粋さ。
そして、そんな彼女を腕の中に抱く明智。
包容力という言葉だけでは、とても言い尽くせません。黒蜥蜴の強さも、弱さも、孤独も、すべてを受け止めるような深い愛が、そこにはありました。
黒蜥蜴だけが圧倒的に輝くのでもなく、明智がただ彼女を救い出すのでもない。二人が互いの存在を認め合い、最後までそれぞれの人間として向き合うからこそ、あの結末が成立したのだと思います。
春乃さくらさんの黒蜥蜴と、桜木みなとさんの明智小五郎。
この二人だからこそ生まれた、美しく、純度の高い愛の物語でした。
お芝居とショーがひとつにつながる
ショー『Diamond IMPULSE』については、ここで詳しく触れることは控えますが、お芝居を観終えたあとに続くショーまで含めて、今回の公演はとても印象深いものでした。
そもそも、お芝居の『黒蜥蜴』に続くショーが『Diamond IMPULSE』であること。これも、単なる偶然とは思えないほど、作品同士のつながりを感じさせます。
さらに印象に残ったのが、トップコンビのデュエットダンスです。
ロマンティックなラブソングではなく、選ばれた曲は「スタンド・バイ・ミー」。そして、ダンスの最後にも二人はキスをせず、そっと手をつなぎます。
お芝居の結末で、明智の腕の中に抱かれながら手をつないでいた黒蜥蜴。その姿が、ショーのデュエットダンスにも重なって見えました。
もちろん、ショーにはショーとしての世界があります。それでも、お芝居で描かれた二人の関係を知ったあとでは、手をつなぐという仕草ひとつにも、特別な意味を感じずにはいられませんでした。
お芝居とショーが、これほど強くつながって感じられた公演は、これまで観てきた宝塚の中でも初めてかもしれません。
『黒蜥蜴』という物語に深く引き込まれ、トップコンビの関係性に心を動かされ、さらにショーの演出にもお芝居とのつながりを感じる。
配信で観た公演ではありますが、だからこそ、映像を通して何度も思い返したくなるような場面がたくさんありました。
『黒蜥蜴』と『Diamond IMPULSE』。二つの作品を通して、宙組の新たな魅力に触れた公演でした。
青春映画の金字塔。この映画では友情が描かれていますが、主題歌を聴くたびに私は父を思ったり、母を思ったり、愛犬を思ったり。心の支えとなるたくさんの存在が頭をよぎります。 |
※本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています。
記事内容は、筆者個人の体験や記録に基づいています。
にほんブログ村


コメント