月組『グレート・ギャッツビー』観劇記|緑の光の彼方に見る夢の物語

お芝居

月組公演『グレート・ギャッツビー』を観劇したときの記録です。

F・スコット・フィッツジェラルドの名作小説を原作に、宝塚歌劇が世界で初めてミュージカル化した作品です。

月城かなとさんが演じるジェイ・ギャツビー。
その夢と孤独を描いた舞台を、印象に残った場面とともに綴ります。

月組の芝居に初めて触れた夜

私にとっては、この公演が「芝居の月組」と出会う最初の機会でした。
しかもレビューやショーのない一本もの。

幕が上がると、舞台には1920年代アメリカの世界が広がります。

豪奢な邸宅、夜ごと開かれるパーティー、ジャズの響き。
そしてその遠くには、小さく瞬く緑の光がありました。

ギャツビーが見つめ続ける対岸の灯り。
最愛の人、デイジーが住むお屋敷の灯りです。

狂騒のアメリカ

この物語の舞台は1920年代のアメリカ。

第一次世界大戦後、アメリカは急速な経済成長を遂げ、「狂騒の20年代」と呼ばれる時代を迎えました。

株式市場は活況を呈し、新しい富裕層が生まれ、豪華な邸宅では夜ごと華やかなパーティーが開かれる。
ジャズの音楽が街に溢れ、人々は新しい時代の夢を追いかけていました。

けれど、その輝きの裏側には満たされないものも漂っています。

対岸の緑の光は、
その時代の夢そのもののようにも感じられました。

物語の中でギャッツビーが対岸を見つめるとき、
その視線の先には緑の光があります。

それはデイジーの象徴であり、
同時に彼の人生の目標、そして死を暗示する光のようにも見えました。

宝塚が世界で初めてミュージカル化した作品

宝塚版『グレートギャッツビー』は、1991年に雪組で『華麗なるギャッツビー』として初演されました。
この作品は、宝塚歌劇が世界で初めてミュージカル化した舞台でもあります。

初演は高く評価され、演出家の小池修一郎先生はこの作品で
菊田一夫演劇賞を受賞しました。

そして2022年、月組で再び上演されたのです。

文学作品が宝塚の舞台として新しい姿を得て、
長い時間を経て再び劇場に戻ってきた。

そのこと自体が、この作品の持つ力を物語っているようでした。

月城かなとのギャツビーと鳳月杏のトム・ブキャナン

月城かなとさんのギャツビーは、とても端正な人物でした。

豪華な邸宅で開かれる盛大なパーティー。
多くの人々に囲まれながらも、常に孤独が貼り付いて見える。

夢を声高に語る人物というより、
胸の奥で燃え続ける想いを抱えた男。

金、地位、名誉に加えて端正な容姿。そして機知にも富んでいる完璧な男。
デイジーと出会った頃のみずみずしく希望に満ちた青年。

月城さんは青年がやがて哀しみと怒りを知り、完璧な男になるまでの経過を、
短い時間で繊細に表現しており、「これが芝居の月組なのか」と深く頷きました。

そしてデイジーの夫トム・ブキャナンを演じた鳳月杏さん。

劇中にある「アメリカの貴族」という歌のとおり、生まれたときから金持ちで、成り上がりではないため嫌味が感じられない。かといって金持ちのバカ息子ではなく、知性と教養を持ち合わせ、

金、名誉、教養、豪邸、鍛えられた肉体、美しい妻、そして子ども。全てを手にしている。

ギャッツビーの持っていない家族を手にしているにもかかわらず、退屈が嫌いで自動車整備工場の女マートル(天紫珠李ちゃん)と不倫している。

庶民から見ると憎たらしい金持ち男であるはずが、鳳月さんが演じると、何故か上品な色気と、

醸し出す包容力と余裕のせいで、いい男に見えてしまうから不思議です。

デイジーを賭けてギャッツビーにゴルフの試合を提案するあたりも、
正々堂々として見えたし、その後、人身事故を起こしたデイジーを庇ってくれたギャッツビーには、

礼こそ言わないものの、その想いを受け止めたという背中に感じられ、こうゆう背中の演技が、

鳳月さんは本当に上手だな~とうなってしまいました。

灰の谷と「真実の目」

この作品で印象に残った舞台装置のひとつが、灰の谷の場面でした。

華やかな街と街のあいだに広がる荒れ地。
繁栄する都市の影のような場所です。

そこに掲げられているのが、巨大な看板の目。
ドクター・T・J・エクルバーグの看板です。

舞台でもこの目は強い存在感を放っていました。

登場人物たちを見下ろすその視線。
そして同時に、客席にいる私たちも見つめているように感じられます。

夢を追い、欲望に突き動かされて生きる人間の姿を、
じっと見つめている目。

その存在が、この物語にもうひとつの奥行きを与えていました。

『ザ・ラストパーティー』とフィッツジェラルド

この作品を観ながら、もうひとつ思い出していた舞台があります。

宝塚の作品『THE LAST PARTY ~S.Fitzgerald’s last day~』フィッツジェラルド最後の一日。
作家 F・スコット・フィッツジェラルドの人生を描いた、植田景子先生の作品です。

その中で歌われる「LIFE」という曲が、私はとても好きです。

作家として成功し、華やかな人生の頂点にいるときにも歌われ、
そして妻の病や創作の苦悩の中でも、同じ歌詞が歌われます。

リプライズではなく、言葉はまったく同じ。
けれど、その響きはまるで違う。

同じ人物の人生の中で、時が経てば意味も変わる。

そのことを思い出しながら、私は今回の舞台を観ていました。


スコット・フィッツジェラルドの小説「夜はやさし」から着想を得た香水。いつか手にしたい逸品です。

夢の結末

自動車事故で妻マートルを失い、復讐に駆られたジョージ(光月るうさん)によって射殺されたギャッツビー。

デイジーは葬式には来ず、後日ギャツビーの墓を訪れます。

墓前に立つ彼女は、感情を激しく表すことはありません。
美しく冷たい横顔のまま花を手に取り、ジェイの墓へと投げ入れる。

トップ娘役の海乃美月さんの儚げな佇まいながら芯の強い女性像が、
この時のデイジーにぴったりで、夢見がちな少女から、生きる選択を続けた強い女性を、

見事に演じきっていたと思います。

彼女が何を思っていたのかは語られません。

ただ、夢を追い続けた男がそこに眠り、
彼が愛した女性がその前に立っている。

感傷的過ぎない演出がとても現実的で良いなと思いました。

近づけば届きそうで、しかし決して手には入らない緑の光

富と名声を得たギャッツビーであっても、

愛した女性と結ばれることはなかったのです。

『朝日の昇る前に』という名曲

劇中で何度か歌われる名曲『朝日の昇る前に』は、

月城さんの見事な歌唱と、常人には着こなせない上下白のスーツ、そして哀愁漂う後ろ姿。

どこを切り取っても、夢に生きた男の生き様が感じられる名場面でした。

『ザラストパーティー』の『LIFE』と同じように、
歌うときの心境で胸に迫ってくる、そんな名曲でした。

丁寧に積み上げた芝居が、しみじみと味わうことができる一本物の名作が、

はじめての月組観劇で良かった!そう思える大人な余韻が残る観劇体験でした。


劇中で登場するギャッツビーの黄色い車は、この表紙のイメージどおりでした。

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記事内容は、筆者個人の体験や記録に基づいています。

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