3月5日に梅田芸術劇場で上演された’14花組スペシャルヴァージョンを、配信で繰り返し観た記録です。
舞台は一度きりのものだと分かっていながら、映像というかたちで手元に残ることで、あの日の空気に何度も触れることができます。
この公演は仕事の都合がつかずチケットを取ることができませんでした。
しかし、いまは配信という素晴らしい仕組みがあります!
しかも『エリザベートガラコンサート』はアーカイブ配信というかたちで、オンタイムを過ぎても一週間、何度でも観ることができました。
夢の配役に寄せて
トートが望海風斗さん、そしてルドルフが柚香光さん。
この組み合わせを知ったとき、胸が躍りました。
2014年花組公演『エリザベート』でルキーニを演じていた望海さん。
これまで観てきたルキーニの中で、もっとも“ルキーニらしい”と感じていた存在が、今度はトートを演じます。
そこに、ルドルフとして柚香さんが立つ。
その並びを劇場で観たかったという思いは強く残っていますが、だからこそ、この配信での出会いは、なおさら特別なものになりました。
抗えない引力としてのトート
望海さんは、言わずと知れた元雪組トップスターであり、抜群の歌唱力と、苦悩を滲ませる芝居が印象的な男役でした。
ご卒業後は数々の舞台に出演され、第33回読売演劇大賞を受賞するなど、名実ともに認められる舞台女優として活躍されています。
私はまだ生の舞台を拝見したことはありませんが、花組時代、雪組時代の映像作品を通して、その魅力に触れてきました。
ハッピーエンドが似合わない、というと少し語弊があるかもしれませんが、
眉間に皺を寄せて苦悩する姿や、片方の口角を上げて不敵に笑う表情など、暗く重い役柄が似合う印象があります。
2014年花組の『エリザベート』で演じられたルキーニも、私の中では最も“ルキーニらしい”存在です。
だからこそ、今回のトートには、どこか確信のようなものがありました。
“死”という存在を、これほどまでに人の心へと近づけてしまうのかという、静かな衝撃。
強さや支配ではなく、抗えない引力のようなもの。
目を逸らすことのできない深い闇でありながら、どこかで救いにも似たものを感じてしまいます。
その両義性が、場面を追うごとに、ゆっくりと濃くなっていきました。
“人”として立つエリザベート
エリザベートの夢咲ねねさんは、これまで抱いていた印象を、良い意味で裏切るものでした。
作品としてしっかり拝見したのは今回がほぼ初めてで、宝塚OGが出演したコンサート『RUNWAY』で拝見した程度でした。
いくつになってもリボンとフリルが似合う、宝塚娘役を体現するような方という印象を持っていました。
しかし今回のエリザベートは、これまで観てきたどのエリザベートよりも、“人”としてそこに生きていました。
歌で圧倒するタイプではないかもしれませんが、台詞や歌詞の一つひとつに、確かな感情が宿っています。
上手に歌い上げるのではなく、エリザベートとして発した言葉が、そのまま歌になっていくように感じられました。
その在り方に触れたとき、エリザベートは“歌の上手い娘役が演じる役”だと思い込んでいた自分の中の固定観念が、静かに変わりました。
とりわけ印象に残ったのは、ルドルフの死後、トートと向き合う場面です。
息子を奪った黄泉の帝王を、本当に恨んでいて、自暴自棄に死なせてとすがりつく姿は、
とても人間らしく、感情表現が飛んでいないというか、この感情からこの感情に移るという、
その心の流れが確かに読み取れるような、とても丁寧なお芝居だと思いました。
そして「愛のテーマ」で「連れて行って」と歌う瞬間も、ただ夢見る少女に戻るのではなく、
あらゆる苦難の果てに辿り着いた、それでこそ自由を望む声として響いていました。
そこには確かに、それまでの時間の積み重ねが感じられたのです。
ルドルフの死の舞踏
そしてルドルフは柚香光さん。
『うたかたの恋』でルドルフを主演されたこともあり、その役への理解と表現の深さには、最初から揺るぎがありませんでした。
エリザベートという作品において、ルドルフは決して長く舞台に立つ人物ではありません。
しかしその短い時間の中に、彼の人生が確かに流れています。
「ママ、どこなの」と問いかけた幼い日から、どのような時間を経て青年になったのか。
父と母をどのように見つめながら生きてきたのか。
なぜ、新しい連邦を望むのか。
その一つひとつが、丁寧に積み重ねられているように感じられました。
若さゆえの衝動や、トートに導かれた結果としてではなく、将来皇帝となる者として、市民の平和を真に願っていたからこその選択。
そう思わせる説得力がありました。
そして印象的だったのは、「死の舞踏」です。
ガラコンサートではトートダンサーがいないため、視覚的に“操られている”印象は薄くなりがちですが、この日の舞台では違っていました。
台詞や歌だけではない、“踊り”という表現によって、ルドルフの内面――やるせなさ、不安、焦燥感――が浮かび上がってきます。
これまで多くの方が演じてきたルドルフという役において、踊りでその内側をここまで掘り下げる試みは、とても印象的でした。
背負い続けるフランツ・ヨーゼフ
フランツ・ヨーゼフを演じた北翔海莉は、“背負う人”の在り方を体現されていたように思います。
皇帝としての責務と、一人の人間としての感情。
そのどちらも手放せないまま立ち尽くす姿は、決して大きくは動かないのに、深く胸に残りました。
言葉よりも、佇まいで語る時間が、確かにそこにありました。
それぞれが「存在」として立つ舞台
この花組スペシャルヴァージョンは、それぞれの人物が“役割”としてではなく、“存在”としてそこに立っているように感じられました。
物語をなぞるのではなく、それぞれが自分の時間を生きている。
だからこそ、どの瞬間を切り取っても、舞台の奥行きが失われません。
余白が残していくもの~いつでもその場所へ!
何度観ても、少しずつ違うものが見えてきます。
それは情報量の多さではなく、余白の豊かさによるものなのだと思います。
観終えたあと、すぐに言葉にするのがためらわれるような、静かな余韻。
その中で、ただひとつ確かに残るのは、
また観たい、という、ごく素直な気持ちでした。
そんなエリザベートガラコンサートが、ブルーレイで発売されることが決定しました!
私が観た柚香さんとまどかちゃんの花組フルコスチュームverも、
望海さんと夢咲さんの花組スペシャルverも!!
いつでも、何度でも、エリザベートの世界へ行ける。
それは、日常から離れて静かに、そして熱く、愛について考えられる場所、
そんな空間への切符を手にしたような気持ちです。
皆さんはどのヴァージョンを購入しますか?

ガラコンで『エリザベート』の世界にハマった方は、ぜひこの本を読んでみてください。舞台演出や役への理解が深まり、もっともっとエリザベートが好きになります! |
※本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています。
記事内容は、筆者個人の体験や記録に基づいています。
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