この日を迎えるまで
この日を、どんな気持ちで迎えただろう。
当時、どれほど望んだことか。
考えただけでも切なくなるほど、観たかったお二人の『エリザベート』
柚香さんのトートと、まどかちゃんのエリザベート。
退団コンサートで「私が踊るとき」と「最後のダンス」を観たとき、
胸にしまっていたはずの想いは、確かに報われた。
けれど、それはあくまでコンサートのワンシーンという形でした。
いつか、物語の中で。
衣装をまとい、あの世界に生きる二人を観たい。
きっと多くのファンが、同じ願いを抱いていたと思います。
そしてそれが、ガラコンサートという形で現実になったのです。
嬉しくて、でも苦しくて。
夢が叶うことが、こんなにも胸を締め付けるものなのかと、
静まらない心を抱えたまま、劇場へ向かいました。
会場は、国際フォーラムCホール。
B席後列という細部は見えない席ではあったけれど、
それでも、この奇跡の時間を同じ空間で体験できることに、
ただ、深く感謝していました。
二人が並んだ、その瞬間
シシィが木から落ち、トートと出会う場面。
三つの階段と、その間に配置されたオーケストラ。
シンプルでありながら、象徴的な舞台構成。
階段の左からトートが、右からシシィが降りてくる。
二人が階段の上で並んだ、その瞬間。
それはトートとエリザベートである前に、
柚香さんとまどかちゃんが、同じ舞台に立っているという現実でした。
もう観られないと思っていた二人が、そこにいる。
木から落ちて死ぬはずだったシシィを救ったトート。
死が人を愛してしまった切なさを歌う「愛と死の輪舞」。
「お前の命 奪う代わり
生きたお前に 愛されたいんだ」
何度も聴いたはずのこの曲が、
柚香さんの表情と、わずかにかすれた歌声によって、
初めて触れる感情のように胸に迫ってきました。
そこには、人を愛してしまった死神の、動揺と痛みがありました。
始まったばかりなのに、
すでに涙をこらえることができませんでした。
人間として生きた、星風まどかのエリザベート
まどかちゃんのエリザベートは、
少女から大人へ、そして老いの入り口までを、どこまでも人間らしく生きていました。
在団当時から、歌唱力に定評のあった娘役でしたが、
卒業後、多くのミュージカルを経験してきたことで、
その表現は、さらに深みを増していました。
夢見るプリンセスではなく、
木登りをする自由な少女。
皇帝と結婚し、妃となり、
母となり、葛藤を抱え、
孤独の中を生き続け、
そして、命を終えるひとりの女性。
その数奇な人生のすべてを、
誇張ではなく、現実として生きていました。
歌もまた、ただ美しく整えられたものではなく、
感情そのものが、音となってあふれ出しているようでした。
生きることへの執着。
その「生」があったからこそ、
トートという「死」が、より鮮明に浮かび上がっていました。
慈愛として存在した、柚香光のトート
柚香さんが新人公演でトートを演じてから、12年。
その美しさは変わらないまま、
そこに宿る感情は、大きく変化していました。
かつては、
人を愛してしまったことへの戸惑いと、
拒絶されることへの怒りが、強く感じられました。
愛を受け入れさせようとする、強引さ。
どうしても手に入れたいという、意志。
しかし今回のトートは、違いました。
人を愛してしまったことすら、運命として受け入れている。
拒まれてもなお、
その想いを押しつけるのではなく、待つ。
その愛は、支配ではなく、慈愛でした。
シシィの孤独を憐れみ、
彼女が死を選ぶその瞬間まで、
静かに寄り添い続ける存在。
それは、奪う死ではなく、
迎え入れる死でした。
生と死が結びついた、偉大なる愛
「私だけに」と宣言するエリザベートの、生への強い意志。
その激しさと対照的に、
トートは、静かに待ち続ける。
どんなに拒まれても、
それでも愛し続ける。
その姿を見て、はじめて理解できた気がします。
ルキーニが語る「グランドアモーレ――偉大なる愛」の意味を。
それは、圧倒的な力による愛ではなく、
ひとりの人間の人生を、
最後まで見届け、
そして迎え入れるという、
静かで、深い愛。
新人公演のトートよりも、
今回のトートの方が、
柚香さん自身の本質に近いのかもしれません。
これまでの柚香さんの舞台人としての表現や、
インタビューなどの記憶から、そんなふうに思いました。
相手を支配するのではなく、
相手の望む生を、最後まで見守る。
それは、
自分の願いを叶えることではなく、
相手の願いを尊重するという愛。
その包容力こそが、
トートという存在が、
これほどまでに偉大な愛として、
存在している理由ではないかと思います。
三人の想いが交錯した、一幕ラスト
舞台左には、エーデルワイスの髪飾りをつけたエリザベート。
舞台右には、彼女を愛し続けたフランツ・ヨーゼフ。
そして階段の上から降りながら、
「お前しか見えないーーー愛してる」と魂の叫びを歌うトート。
三人はそれぞれの愛を抱きながら、
決して交わることはありません。
愛しているのに、届かない。
その残酷な真実が、舞台の構図と三人の交わらない視線で表現されていました。
圧巻の一幕ラストでした。
物語を動かした、もう一人の「死」の信奉者――ルキーニ
ここで、トートとエリザベート以外のメインキャストについても触れておきたいと思います。
物語の案内人であり、エリザベートを暗殺する革命家、ルキーニ。
今回は愛月ひかるさんが、この難役を演じていました。
革命家でありながら、黄泉の帝王に帰依し、
その意思を体現する存在でもあるルキーニ。
同時に、物語全体を観客へと導くストーリーテラーでもあるという、極めて複雑な役どころです。
愛月さんのルキーニは、退団して何年も経っているとは思えない、
現役男役のような鋭さと存在感を保ち続けていました。
歌声の力強さ。
そして、「キッチュ」での客席を巻き込むあの高揚感。
髭の造形ひとつに至るまで、ルキーニという人物の狂気と魅力が宿っており、
舞台の空気を自在に操る、その支配力に圧倒されました。
皇帝であり続けた男の、変わらぬ愛――フランツ・ヨーゼフ
北翔海莉さんのフランツ・ヨーゼフ。
シシィと出会ったばかりの、うぶな青年としての皇帝。
国家のために、冷酷な決断を下さなければならない統治者としての顔。
そして、すれ違い続けながらも、
それでもなお妻を愛し続けた、一人の男。
息子への厳しさの中にも宿る愛。
老いてなお変わらない、妻への誠実な想い。
そのすべてを、情感豊かな歌声と、
とてもお母さんとは思えないほど凛とした立ち姿で表現されていました。
特に印象に残ったのは、
まどかちゃんのシシィとの「嵐も怖くない」、そして「夜のボート」。
今回が初共演とは思えないほど、息がぴったりと合っていました。
「夜のボート」の旋律には、
すれ違いながらも共に生きてきた二人の時間と、
どうすることもできない距離が、静かに流れています。
愛していたはずなのに、同じ場所には立てない。
人生が思うように進まず、
それでも時は過ぎていく――
その切なさが、音となって胸に迫り、
聴いているだけで、胸が詰まりました。
「私が踊るとき」ーーー届かない愛のかたち
死へと誘うトートと、
それを拒み続けるエリザベート。
この二人の関係性が、最も鮮明に表れる場面です。
ワインレッドのサテンシャツに、黒いコートを羽織ったトート。
漆黒の衣装のトートとは違って、
衣装のワイレッドのように、わずかに「血の通った存在」としての感情が滲んでいました。
待ち続ける死神でありながら、
それでもなお、導きたいという意志が見える。
「いつか俺を求める」
この一節には、
手に入らない愛への悔しさと、
それでも、求められるその瞬間まで待つという、決意が込められていました。
「あなたには頼らない」と、きっぱりと拒絶されたときのトート。
そこにあったのは、怒りでも、呆れでもなく――
深い、哀しみでした。
どうして伝わらないのだろう。
それでも、待ち続ける。
その姿は、愛そのものでした。
それでも、意志を尊重するという愛
ドクトルの場面でも、それは同じでした。
体調を崩したエリザベートの座る椅子に片足をかけ、
「お前が愛するのはこの俺だ」と、死へと誘うトート。
その姿は、一見すると支配的で、絶対的な存在のように見えます。
しかし、最終的に拒絶されたとき、
彼はそれ以上踏み込むことはありませんでした。
「今に死にたいときが来る」
そう言い残し、
エリザベートの意志を受け入れる。
奪うことはできる存在でありながら、
それでも奪わない。
相手が自ら望む、その時まで待つ。
それは、支配ではなく、
愛でした。
ルドルフを見つめるトート
幼い皇太子ルドルフが歌う「ママ、何処なの」。
母を求めるその声を、
トートは、慈愛に満ちた眼差しで見つめていました。
その瞬間、どうしても思い出さずにはいられなかったのは、
柚香さんが、かつて皇太子ルドルフを演じていたことでした。
明日海りおさんがトートを演じたときの、ルドルフ。
そしてトップスターとなってから、まどかちゃんと共に『うたかたの恋』で演じた、ルドルフ。
孤独の中で生き、
逃げ場のない現実に押し潰されていく皇太子の人生を、
柚香さんは、すでにその身で生きていたのです。
だからこそ今回のトートは、
ルドルフの孤独を、あまりにも深く理解しているように見えました。
その二人が辿り着く「闇が広がる」。
トートは、ルドルフを陥れたのでしょうか。
そそのかしたのでしょうか。
エリザベートを絶望の底へと導き、
死を望まざるを得ない状況を作るために、
その息子を死へと追いやったのでしょうか。
自らの愛を手に入れるために――
そう解釈することも、できるのかもしれません。
けれど、柚香さんのトートは、
どこか違って見えました。
それは、破滅へと誘う存在というよりも、
魂の安らげる場所へと導く存在。
逃れられない孤独。
どうにもならない現実。
誰にも理解されない苦しみ。
そのすべてから解き放ち、
安らぎへと導こうとしているように見えました。
それは結局、エリザベートに向けていた想いと同じだったのだと思います。
自分のものにするためではなく、
その魂を、苦しみから救うための愛。
死というかたちでしか与えられない、救済。
トートという存在の、本質
この解釈を突き詰めていくと、
死を肯定することにも繋がりかねません。
私は、その答えを見出そうとは思いません。
ただ、ひとつ感じたことは、
トートとは、
人の希死念慮が生んだ幻影のような存在なのかもしれない、ということ。
誰の心にも生まれ得る、
逃げたいという願い。
終わらせたいという想い。
そして、安らぎたいという祈り。
トートは、それそのものの姿なのかもしれません。
だからこそ彼は、奪うのではなく、待ち続ける。
その人自身が、選ぶ瞬間まで。
そして選ばれたとき、
静かに、抱きとめる。
柚香さんのトートは、
そんな存在として、静謐な泉のような微笑をたたえていました。
エリザベートガラコンの後編は、あらためて記したいと思います。
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