母の愛を求めて
自由主義に身を投じ、父フランツとの間に深い溝を抱えてしまったルドルフ。
その混乱のさなか、旅から戻ったエリザベートへ向けて、彼は縋るように言葉を発します。
「僕はママの鏡だから ママは僕の想いすべて分かるはず」
「分からないわ 久しぶりなのよ」
このすれ違いの残酷さに、胸が締めつけられました。
ルドルフは、母エリザベートではなく祖母ゾフィーのもとで厳しく育てられました。
物心ついたときから、母は旅に出てばかりでした。
エリザベートの愛を求めていたのは、トートやフランツだけではありません。
ルドルフもまた、同じだったのだと思います。
母に理解されたいと願いながら、
その願いが届かないまま、彼は孤独の中に取り残されていきます。
手を差し伸べられなかった母
トートから渡されたピストルによって、自らの命を絶ったルドルフ。
息子を失ったエリザベートは、
「この罪は消せない」と、求められた手に手を差し伸べなかったことを悔います。
喪服姿で「今最後に安らぎを得たのね」と歌うまどかちゃんの姿は、
皇后ではなく、一人の母親でした。
その声には、取り返すことのできない時間への悔恨と、
それでもなお息子を想い続ける愛が滲んでいたように感じます。
死は逃げ場ではない
息子を奪った存在としてトートを責め、
生きていても仕方がないというように、
「あげるわこの命 死なせて」
そうすがるエリザベート。
それに対してトートは、静かに、しかし確かな痛みを滲ませながら応えます。
「死は 逃げ場ではーーーーーない」
この言葉の響きが、深く心に残りました。
この台詞は、断言するように言われることもあれば、
吐き捨てるように言われることもあると思います。
けれど、柚香さんのトートは違っていました。
「ない」という最後の言葉が、
まるで絞り出すように、心の奥底から零れ落ちたように聞こえたのです。
初めてエリザベートから求められたトートの心は、きっととても複雑だったのだと思います。
望むままに黄泉の世界へ連れ去ることも出来る。
けれど、そんなふうに投げやりで、厭世的なエリザベートを愛したわけではない。
もしかするとトートは、エリザベートの生命力に、
そして自由を求めて自分を貫くその姿に焦がれてしまったのではないでしょうか。
だからこそ、自由を求めるように自分を――死を求めてほしいと願う。
そんな、あまりにも難しい愛され方を望んでしまったのかもしれません。
死を司る存在でありながら、
ただ死を与えればよいわけではない。
エリザベート自身の意志で、
彼を選び取ることを望んでいる。
その矛盾こそが、トートという存在の本質のように思えました。
だからこそエリザベートは、彼に導かれるのではなく、
ルキーニのナイフによって刺されるというかたちで、死を迎えます。
それは誰かに与えられた死ではなく、
彼女自身の人生の果てにたどり着いた、ひとつの終着点だったのかもしれません。
晩年、彷徨うように旅を重ねたエリザベートが、
本当に死を望んでいたのかは分かりません。
けれど、あの瞬間まで、彼女は生きることをやめなかった。
そのことだけは、確かだったように思います。
マチネとソワレ、その違い
ちなみに私は、マチネを観劇したあと、帰宅してからソワレの配信も観ました。
ソワレでの同じ台詞、
「死は逃げ場ではーーーーない」は、
マチネとはまったく異なる響きを持っていました。
そこには感情を露わにする様子はなく、
虚無的というのか、
辞書を読むように淡々とした、無機質な印象すらありました。
感情を抑えているというより、
あえて感情を表に出さないことを選んでいるような――
そんな静かな深さを感じました。
同じ言葉でありながら、
そこに宿る意味も、温度も、まるで違います。
それはきっと、トートという存在の多面性そのものなのだと思います。
最終答弁――愛の行き着く場所
もともと『エリザベート』というミュージカルは、彼女を殺害した革命家ルキーニが、独房で自死したあとも天国へも地獄へも行けず、黄泉の世界を彷徨っているところから始まります。
そこで行われる法廷で、彼は裁判官から「なぜ暗殺したのか」と問われ、その証人としてハプスブルク家の亡霊たちが現れ、過去の出来事を再現していく――そのような構造を持っています。
その中で「最終答弁」は、生前には出会うことのなかったフランツとトートが、エリザベートへの愛をめぐって互いの正当性を主張し合う場面です。
フランツは、エリザベートは自分の妻であると訴える。
それに対してトートは、「生きてるうちさ」と言い放つ。
さらに、
エリザベートの魂は、お前には救えない――
と、嘲笑うように返します。
フランツは、黄泉の帝王をエリザベートが愛するはずはないと断じ、ならばなぜ命を奪わないのかと問い詰めます。
トートは「時を待っている」と静かに答える。
しかしフランツは、核心を突く言葉を放ちます。
あなたは恐れている。
彼女に愛を拒絶されるのを。
その瞬間、トートはこれまでで最も感情をあらわにして、
違う―――!
と、真っ向から否定します。
そして彼は、ルキーニにナイフを渡す。
何も告げず、ただ無言のまま。
ルキーニは旅の途中、ジュネーブの湖畔にいたエリザベートを、そのナイフで殺害します。
自由としての死
かつて「自分の人生は私だけのもの」と高らかに歌った女性。
その人生のなかで様々な経験を重ね、抱えきれないほどの孤独に苛まれながらも、自ら死を選ぶことはなかったエリザベート。
けれど彼女は、かつて自由を求めたのと同じように、自由としての死を求めていたのかもしれません。
魂が安らげる場所。
いつかたどり着く港。
自暴自棄の果てではなく、
すべてを生き抜いた末に辿り着く自由としての死を、
トートは「時が満ちた」と判断したのではないか――
そんなふうに感じました。
愛のテーマ
白い衣装の二人が結ばれる、ラストシーン。
ルキーニに暗殺されたエリザベートが、トートの導きによって黄泉の世界へと昇っていく場面。
「私だけに」の旋律に乗せて、「愛のテーマ」が紡がれます。
もともと大好きな楽曲ですが、今回の「愛のテーマ」は、これまで以上に胸に迫るものがありました。
それはきっと、私がこの瞬間を待ち望んでいたからなのだと思います。
少女のような声で「連れて行って」と歌うエリザベート。
その姿からは、死を恐れるのではなく、自由として受け入れたことが伝わってきました。
「涙、笑い、悲しみ、苦しみ。
長い旅路の果てにつかんだ 決して終わることのないーーーーあなたの愛」
その響きは、エリザベートとトートの物語でありながら、
同時に、柚香さんとまどかちゃんが花組で歩んできた時間とも重なって見えました。
終わることのない愛。
その歌詞が、二つの意味を持って私の胸に直接響きました。
時を越えて響く旋律――リプライズという奇跡
改めて、この作品の脚本の完成度、キャラクターの強度、そして何より楽曲の素晴らしさを痛感しました。
『エリザベート』では、同じ旋律が、異なる意味をまとって何度も現れます。
初めて聴いたときには希望に満ちていた旋律が、
再び響くときには、喪失や孤独を帯びている。
あるいは、苦しみの中で歌われた旋律が、
最後には受容と安らぎへと姿を変えている。
それは単なる繰り返しではなく、
時間そのものが音となって響いているようでした。
「嵐も怖くない」と「夜のボート」。
愛に満ちた確信として歌われた旋律は、やがてすれ違いと取り戻せない距離を浮かび上がらせます。
「ママ、何処なの?」と「マイヤーリンク・ワルツ」
無垢な問いかけは、避けることのできない運命の影をまとって再び現れる。
そして「私だけに」と「愛のテーマ」
自由を求めて歌われた旋律は、
長い孤独の果てに、愛へと辿り着いた証として響き直す。
同じ旋律でありながら、そこに流れている時間は、もう二度と元には戻らない。
だからこそ、その響きはこれほどまでに胸を打つのだと思います。
リプライズとは、単に音楽的な構造ではなく、
生きた時間そのものを観客に手渡す装置なのだと感じました。
あの旋律が再び響いた瞬間、
それまでエリザベートが歩んできた孤独も、苦悩も、すべてがひとつに繋がる。
そして最後に「愛のテーマ」として結実したとき、
その長い旅路が、確かに意味を持っていたのだと知るのです。
『エリザベート』という作品が、これほどまでに深く心に残る理由は、
この、時を越えて響き続ける旋律の力にあるのだと、改めて感じました。
扉の向こうにあるもの
現実の世界では、「死に自由を求める」というテーマは、肯定的に語られることはありません。
誰もが、深く見つめすぎないようにしている領域です。
けれど『エリザベート』では、投げやりな死は決して許されません。
責務。
孤独。
苦悩。
それらすべてを生き抜いた果てにのみ辿り着くことができる、安らぎとしての自由が描かれています。
それは甘い誘いのようでもあり、
深い闇の引力のようでもある。
けれど同時に、生き抜いた者だけが触れることを許される境地でもあるのだと、この作品は語っているように感じました。
永遠に触れた時間
配信を繰り返し観ながら、思うのです。
柚香さんとまどかちゃんのご卒業によって、一度閉じたはずの扉。
2024年5月26日。
あの日、確かに閉じたはずの扉が、再び開かれたような感覚。
二度と観ることはないと心に焼き付けたお二人の姿が、
トートとエリザベートとして、永遠の愛を体現する。
そのことで、まざまざと見ることになった自分の心に空いていた空洞の深さに、
改めて気づかされました。
お二人が舞台上で表現する信頼と愛。
それこそが、私の心をこれほどまでに揺さぶる理由なのだと、強く感じました。
すごいものを観てしまった。
過去は過去であり、
もう二度と同じかたちで観ることはできない。
それでも――
もう少しだけ。
お二人の生み出すあたたかな泉に、身を委ねていたいと思います。
永遠とは、きっと――あの一瞬を、心が手放さずにいることなのだと思うのです。
舞台でエリザベートの世界を堪能したあとは、本もおすすめです。文字で読むことで、理解が深まるような気がします。 |
※本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています。
記事内容は、筆者個人の体験や記録に基づいています。
にほんブログ村


コメント